タイ・カンボジア空爆はなぜ起きたのか|2025年国境危機を時系列解説
基準日:2025-12-08 時点。タイとカンボジアの国境地帯では、2025年7月24日にタイ空軍がカンボジア側の軍事拠点を空爆し、多数の死傷者と避難民が出ました。その後も停戦合意と衝突再燃を繰り返し、12月上旬にも再び空爆を含む戦闘が報じられるなど、緊張は続いています。本記事では、この「空爆」に至るまでの流れと、なぜ事態がここまで悪化したのかを時系列で整理します。
プレアビヒア寺院とタイ・カンボジア国境紛争の背景
今回の空爆は、プレアビヒア寺院周辺の帰属をめぐる長年の領土問題の延長線上にあります。国境線はフランス植民地時代に引かれた地図をもとに定められましたが、山脈の分水嶺と線引きが一致せず、寺院周辺の主権を巡って両国の主張が対立してきました。国際司法裁判所(ICJ)は1962年に寺院自体のカンボジア帰属を認め、2013年には周辺の土地もカンボジア領と判断したものの、タイ国内にはなお不満が残っています。
2008〜2011年にも同地域で激しい銃撃戦と砲撃戦が起き、多数の死傷者と住民避難が発生しました。その後いったん沈静化したものの、2025年に再び国境紛争として再燃し、今度はタイ空軍による空爆にまで発展しました。
要点
- 発端はプレアビヒア寺院周辺の領有権問題で、ルーツは植民地期の国境線にさかのぼる。
- ICJの判決で法的にはカンボジア側とされたが、タイ国内のナショナリズムと不満がくすぶり続けた。
- 2008〜2011年の衝突に続き、2025年に再び大規模な軍事衝突が勃発した。
2025年国境危機の前段:塹壕建設と経済制裁
2025-05-14、タイ軍の巡回部隊が、係争地「チョンボック」でカンボジア軍が全長約650mの塹壕を掘削しているのを確認したことが、新たな緊張の出発点とされています。タイ側はこれを「現状変更の試み」であり、係争地を恒久的な軍事拠点にしようとする意図だと非難しました。
5月下旬には同地域で小規模な銃撃戦が発生し、カンボジア兵士1人が死亡。これを受けてタイ政府は6月6日に国境検問所を閉鎖し、カンボジアへの圧力を強めます。カンボジア側も対抗措置として、タイからの輸入や電力供給・インターネット接続の停止を発表し、国境地帯の経済や「グレーゾーンビジネス」が大きな打撃を受けました。
| 時期 | 場所 | 出来事 | ポイント |
|---|---|---|---|
| 2025-05-14 | 係争地「チョンボック」 | タイ軍がカンボジア軍による全長約650mの塹壕掘削を確認。 | タイは「現状変更」と批判し、軍事的警戒を強化。 |
| 2025-05下旬 | 同地域 | 小規模な銃撃戦が発生し、カンボジア兵1人が死亡。 | 武力衝突が再開し、外交交渉が一気に難しくなる。 |
| 2025-06上旬 | タイ・カンボジア国境一帯 | タイが国境検問所を閉鎖。カンボジアは対抗的に輸入・電力・通信制限を発表。 | 国境貿易と生活インフラが直撃を受け、市民生活にも緊張が波及。 |
要点
- 塹壕建設は「事実上の軍事基地化」と受け取られ、タイ側の強い反発を招いた。
- 国境検問所閉鎖と輸入・電力制限により、両国の国境経済と住民生活が大きなダメージを受けた。
- この時点ではまだ空爆には至っていないが、軍事・経済の両面で対立が激化していた。
地雷事件と2025年7月24日空爆までの時系列
武力衝突が空爆にまでエスカレートした直接のきっかけは、対人地雷とロケット攻撃でした。タイ軍は7月16日と23日に国境付近の巡回中に兵士が地雷を踏んで負傷し、その後の調査でロシア製対人地雷PMN-2を多数回収したと発表しました。タイはこれをカンボジアによる新たな敷設であり、地雷禁止条約(オタワ条約)違反だと強く非難しています。
そして7月24日朝、カンボジア側の無人機(ドローン)が国境付近の遺跡上空を旋回したのに続き、武装した兵士がタイの前線基地付近まで接近し発砲。その数時間後には、カンボジア軍がBM-21多連装ロケットでタイ領内の民間地域を攻撃し、セブンイレブン店舗や病院が大きな被害を受け、少なくとも民間人14人が死亡したと報告されています。
この「第一波」の攻撃を受け、タイ軍は直ちに反撃を決定し、F-16戦闘機による空爆でカンボジア側の軍事拠点を標的としました。これはタイ空軍が実戦で空爆を行うのはタイ・ラオス国境戦争以来とされ、事態の重大なエスカレーションと受け止められています。
時系列の整理
- 2025-07-16/23:タイ兵が巡回中に対人地雷を踏み負傷。タイ側はPMN-2地雷の回収を発表し、カンボジアの条約違反と非難。
- 2025-07-24 午前:カンボジアのドローンと武装兵が国境付近で活動、続いてBM-21ロケットによる民間地域への攻撃で多数の死傷者。
- 同日:タイ空軍がカンボジア軍事拠点を空爆。国境紛争は本格的な軍事衝突の段階に入る。
停戦合意とその後の再燃
激しい戦闘を受け、タイとカンボジアの首脳は7月28日にマレーシア近郊で会談し、マレーシアや米中の仲介のもとで即時停戦に合意しました。停戦までに、タイは軍人15人と民間人17人の死亡、約18万人の避難民、カンボジア側も軍人・民間人合わせて多数の死者と約17万人の避難民が報告されています。
しかし停戦後も小規模な衝突や相互の非難は続きました。特に11月10日にはタイ兵が地雷で負傷した事件をきっかけに、タイ政府はカンボジアが停戦合意に違反して新たに地雷を敷設したと主張し、停戦履行の協議を中断。カンボジアはこれを否定し、自国は停戦を守っていると反論しました。
この緊張の高まりの中で、12月上旬には再び国境沿いで激しい交戦が発生し、タイ空軍による空爆が行われたと国際メディアが報じています。双方が「先に攻撃したのは相手だ」と主張し合い、7月の停戦は事実上崩壊した形です。
要点
- 7月末の停戦合意は一時的に大規模戦闘を止めたものの、その後も地雷や砲撃を巡る対立が続いた。
- 11月の地雷事件をきっかけに、タイは停戦協議を停止し、相互不信がさらに強まった。
- 12月の新たな空爆は、停戦の脆さと根深い国境問題が未解決であることを示している。
なぜ空爆までエスカレートしたのか:3つの構造要因
単なる「一度の衝突」ではなく空爆にまで発展した背景には、次のような構造的要因が指摘されています。
- 未解決の領土問題とナショナリズム
プレアビヒア寺院周辺をめぐる帰属問題は、フランス植民地時代の地図に端を発し、タイ・カンボジア双方にとって「歴史的な自尊心」に関わる問題となっています。ICJの判決がカンボジア有利と受け止められたことに対し、タイ国内の一部勢力は強く反発しており、政治家も世論に押されやすい状況にあります。 - 軍事的エスカレーションの連鎖
塹壕建設→国境封鎖→地雷使用疑惑→BM-21ロケットによる民間攻撃→空爆という形で、互いの行動が報復を呼び込みました。特に民間人が多数犠牲になったことが、タイ側の強硬な軍事行動を正当化する理屈として使われています。 - 脆弱な停戦枠組みと国内政治
7月の停戦はマレーシアや米中など外部の仲介で急ごしらえされたもので、実務レベルの信頼醸成が十分でないまま合意させられた面があると専門家は指摘しています。また、タイ側の政権交代や国内政治の不安定さが、対外強硬姿勢をとりやすい環境を生んだとの分析もあります。
要点
- 根本原因は「歴史的な領土問題」であり、一時的な停戦では解決しにくい。
- 塹壕・地雷・ロケット・空爆といった軍事行動が階段状にエスカレートした。
- 外部仲介による停戦は合意までが早い一方で、現場の信頼関係が伴わないと崩れやすい。
